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私が行政書士を目指したきっかけ①

厚木の行政書士 安齋です。

 

最近、ヤフーのネットニュースで「コロナによる内定取り消しが全国で174人 昨年の5倍」という

記事を見て自身の就活について思い出したので、今日は私の就活から行政書士を目指すまでを描いてみようと思います。

 

 

私が就活をしていた10年ちょっと前、私は特に何がやりたいということもなかったので自分の就活結果に満足がいかず4年生になってもまだ、就活を続けていました。

 

強いてあげるならば「形に残る仕事がしたい」と漠然と思っていました。自分の努力を目で見える形で残していきたいと思っていたのです。

そんな中、8月?か9月?にリーマンショックがありました。選考途中だった企業は、途端に何の連絡もなくなったのです。

元来、白黒はっきりさせたい性格(今はグレーもありと考えますが)の私は企業へ直接、今、選考がどのようになっているのか確認しましたが、面倒くさそうに対応されたことをよく覚えています。

今考えても、あの対応はひどいなぁ、と思います。

 

判然としないながらも「形に残る仕事がしたい」に合う企業から内定をもらっていたので、私はハウスメーカーに就職することにしました。後から人事の方に「来ると思わなかった」と言われましたが…。

家を売るって簡単ではないですが、大学4年生の私にとってはお客様の夢のお手伝いができる上に、自分が仕事をしたことの成果が建物の完成、営業成績、収入など目に見えるものに反映され素敵だと思ったからです。

 

しかし今回のコロナでもそうかもしれませんが、大きな恐慌などがあるとみなさん大きな買い物は控える傾向にあり、入社1年目の新入社員にはなかなかつらいスタートでした。

また、負の連鎖といいますか大株主だった会社がかなりの負債を抱えて倒産したため、そちらからの出向者も多数流れてきたために新入社員であっても新築住宅の販売が至上命題でした。

(「あいつらの人件費も稼げ」といわれ「そんな~(>_<)、40代の課長の給料まで~?」と思ったものです)

 

私の要領の悪さもありますが、初めての〇〇〇、って何でも時間がかかるんですよね。

朝から日付が変わるまで働いても毎日怒られて、給与も初任給から10%カット、一年目の賞与は住宅販売の報奨金が数万円いただけたのみという状況で、営業用に購入した自分の車も時間に焦るあまり擦り傷がチラホラ…。(呆れた先輩社員と毎日怒鳴っていた課長が2~3人私の車にかじりついて必死に傷隠しをしていました。)

エコカー減税の10万円も入金されたと同時に修理代にスライドしていきました。

(完全に足元を見られていると感じました。)

 

ここまで散々なことを書いていますが、私は住宅販売という高額商品を通してお客様という存在に対しての心構え、責任をもって仕事をする、会社の一員として自分の立ち位置(与えられた役割)というのをショック療法のような形で叩き込んでくれたことにとても感謝しています。

 

ただ、このままでは私は死んでしまう、もっと普通に働こう、働きたいと思ったので1年弱でそのハウスメーカーを退職することにしました。

 

~長文になるので今回はここまでにします~